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私が自衛隊に入った理由(防衛大学校に入った理由)

 

こんにちは、今回は自分の話をしたいと思います。

 

私が自衛隊に入った理由、経緯についてお話をします。

 

この記事が参考になる人

・将来自衛隊に入ろうか考えている

・友人、知人が自衛隊に興味を持っている、入隊している

・金銭的に裕福ではないが、自立して親元を離れたいと考えている

 

出身

私の両親は鹿児島出身で、私も鹿児島の生まれです。父は航空自衛隊の通信の空曹、母は保母をしていました。

里帰り出産で鹿児島で生まれた後は、父の転勤に合わせて、九州を点々とする幼少期を過ごします。

 

入隊

20歳で防衛大学校に入学しました。防衛大学校は入学条件が18歳~20歳なので、

ギリギリの入隊となります。

自衛隊を知ったきっかけ

父が自衛隊だったので、自然と自衛隊については知ることができました。航空祭や、基地の体育館での部活動だったりに参加させてもらい、自衛隊という組織がどのようなところかの雰囲気はつかめていました。

 

幼少期の自衛隊の印象

自衛官は自衛隊が用意した宿舎(官舎)で暮らす人が多いです。自衛官ばかりが住んでいる団地をイメージしてください。

そのため、友達のお父さんも自衛官で、お父さんどうしの団結力が強かったり、バーベキューに連れて行ってくれたりして、気のいいひとが多かったです。

しかし反面、国を守る仕事で、具体的になにをしているのかはわからないままでした。

父に聞いたら、レーダーサイトの結果などの暗号通信をしていると聞かされるだけで、いまいち想像がわきませんでした。

 

自衛隊に入りたかったかどうか

入りたいとは思っていなかったです。父とは違う道に進みたいと思っていたし、ドラマやゲームの影響で医者や弁護士になりたいと考えていました。自衛隊は規則の縛りがきつそうだし、日本は戦争しないから、自衛隊に入っても仕事の充実感を感じることができないんじゃないかと思っていました。

 

地獄の入口「パチンコ」

自衛隊とのつながりが切っても切れないパチンコ問題です。パチンコ問題だけで一記事書けるくらい自衛官はパチンコめっちゃやります。横のつながりが強い分、つきあいでパチンコに行き始めたらハマってたということが日常茶飯事です。自衛隊の基地の近くにはほぼ必ずパチンコ店があります。今度グーグルマップで調べてみてください、面白いほどセットで立地しています。

 

パチンコの結果

中学校1年生の時に、親は離婚しました。私と3歳下の弟は、父についていくことになりました。公務員なので最悪でも養えるという判断でした。借金が数百万~一千万ほどありました。学費や家賃が支払えなくなったり、僻地への転勤(パチンコがない離島への上官の勧めによる転勤)などにより、生活は結構荒れてました。私も学校で大きい喧嘩などをして、大変でした。

 

高校生活

対馬の中学校に通っていたのですが、中学校3年生の時にこのままではまずいと思った母に助けられるような形で、福岡の高校に転校しました。4つめの中学校は、母の住んでるところの隣の市で、そこに住民票を置き、高校受験、無事同地区の公立高校に入学でき、卒業までその高校にいることができました。その間、母は再婚していましたので、会うことはあまりなく、中学生高校生ながら、ひとり暮らしをしていました。

 

将来の夢を見失う

高校に入学したものの、学校には叔母と二人暮らしという嘘をついて通っていました。ひとりで生活していることを話すこともできず、疲れてしまって、学校を休むことも多くなりました。進学校だったので、勉強にもついていけず、足りない出席日数を、卒業前に奉仕活動などをして補い、なんとか卒業できたという記憶があります。

 

東日本大震災後の仙台でボランティア活動を行う

大学は防衛医科大学校と九州大学医学部を受けて落ちました。受かる実力もないのに受けたと思います。その後父のもとにもどり、浪人するか仕事するか考えてウロウロしてました。春が過ぎるころ、家でダラダラしてるならボランティアにでも行って世間の役に立ちなさいと、母に仙台でのボランティア募集の情報をもらって、やるべきこともなかった私は単身、ボランティアのために九州から東北まで行きました。ボランティア活動の内容はまた別の記事でまとめられたらと思います。

 

自衛隊に出会う

ボランティア活動の中、陸上自衛隊の統率のとれた活躍を直接目にします。実際に災害ボランティアを経て防衛大学校に入った学生は珍しいと思います。そのときに見た自衛隊の姿は、タフで強く、個人の力ではできないこと(泥の回収、運搬、仮設浴場の設置など)を次々と成していく姿でした。そのときにスコップ一つで泥をかくしかできない自分の無力さと、組織であることの強さ、父が働いている組織の根幹を感じました。この強い組織を指揮する幹部自衛官はどんなにすごいのかと思いました。

このままでは自分は何物でもなくなってしまうと、自分の将来を考えるきっかけになりました。

 

2浪の末防衛大学校に入学

浪人1年目は受験はしませんでした。ボランティアで意識が変わったと言っても、いままでの負債が多く、また大学に行くかどうかはまだ迷っていたので受験しませんでした。

2年目にやはり大学に行こうと思い、予備校に通い受験をします。防衛大学校と九州大学の理工学部を受験するつもりでしたが、防衛大学校の合格が決まった後、両親がとても喜ぶ姿を見て、いままで自分を育ててくれた恩返しをしたいと思い、防衛大学校への入学を決心しました。

卒業時点で父親より階級が高くなるので、父親を越えたいという思いだったり、親と離れて自立した生活をしたいという思いもあったのを覚えています。

 

私が防衛大学校に入学した経緯は以上です。

パチンコ問題で父を指導していただいた幹部の方や、幼少の時に基地の武道場で合気道を教えてくれた幹部の方など、いま思い返すと、自衛隊には立派な人が沢山いました。防衛大学校での生活は人生で一番充実していて、多くの学びを得ることができました。
私と同じように家の事情でまともな親子関係や教育を受けることが出来なかったり、金銭的負担を感じ続けてきた人には、防衛大学校は良い選択肢だと思います。

国防の責任感を持てるかなど不安はあると思いますがそれらは後からついていきます。そのための防衛大学校なので。これからも自衛隊関係の話題を投稿していこうと思いますので、応援お願いします。

 

まとめ

 

私が自衛隊に入った経緯、理由。

 

父親が自衛官で馴染みがあったが、特に自衛隊に入りたいという理由もなかった。

家族関係の悪化、金銭的な問題により堕落した人間になる。

災害ボランティアを通じて自衛隊の強さを感じる

立ち上がるきっかけになる

親への恩返しと自立したい気持ちから防衛大学校入学を決める

 

といった経緯でした。

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